ショコラのブログ

気ままに思ったこと考えた事などを書き綴ります

呪いと祈り

こんばんは七月になりましたね。

ショコラです。

今日は何か月ぶりのプールに行ってきました。

水泳って瞑想に近いものがあるなって思ったりします。

何かピンっとこないかもしれないですが

息継ぎをいかにうまくするかとか私の中では重要なのです。

その息継ぎを意識をしていると瞑想に近いなってことです。

呼吸は普段は無意識ですが

そこに意識を向ける事ってあんまないですよねー。

ランニングの時も同じ要領で呼吸に意識を向けると

これまた瞑想ですね。

でも、瞑想って何をやってるのか

今一つ分かってないショコラ君ですがね。。

 

さて、今回のテーマは”呪いと祈り”です。

興味ない人もいるかとは思いますが、

なかなか面白い内容なので

最後まで読んでもらえたら嬉しいです。

 

いきなりですが、

あなたは“呪い”を信じますか?

目に見えないものだし私は信じない・・・

呪いってなんぞや・・・

いやいや、それってスピ系?

そう思う人がいますね。

 

では“呪い”の反対は何でしょうか?

 

呪いは対象となる人に対して不幸な出来事を願う事です。

従って

“呪い”の反対は“祈り”です。

こんな言葉があります。

『人を呪わば穴二つ』

これは古事ことわざで

他人に害を与えれば、

必ず自分にかえってくるものである。
他人を呪い殺せば、

自分も相手の恨みの報いを受けて呪い殺され、

相手と自分の分で墓穴が二つ必要になることからきています。

まさに因果応報ですね。

 

呪いとは

低級霊に対象人物に不幸を陥れてくれと頼み込む行為です。

低級霊は対価を求めます。

呪いをかけるからには

対価としての不幸をかけた本人にも与える

そんな感じです。

なので人を呪う時には自分も刺し違える覚悟が必要となります。

 まぁ人に憎悪を抱く時点で

その雰囲気とか負のオーラで良いことなんてないものです。

そう、

呪いは普段のちょっとした事でも

小さな呪いはあります。

憤怒、傲慢、嫉妬

この三つは私のブログでたびたび出てくる七つの大罪ですね。

低級霊はこれらの人の弱みから契約でも交わすのでしょう。

呪いをかけると言うのは、自分自身の生霊とたの死霊等を混ぜて悪霊を製作して相手にぶつける訳です。
相手を死に至らしめ、目的を果たした悪霊は次の目的を探し呪いをかけた本人、悪霊を生み出した者の所へ
帰って来る訳です。

当然呪いをかけた者を死に至らしめる迄やめません。
なぜなら呪いを掛けた本人の生霊をベースに作っていますので、

本人が死ぬ迄悪霊にエネルギーが供給され続けるからです。
人を呪うと言う事は自分も死ぬ覚悟がいる訳です。

 

ちなみにお化けや幽霊が見える人は注意して下さい。

 こういうものには関わらないのが一番です。

見えるってことは

そのレベル(波長やら周波のチャンネリング)が

合ってって事です。

良いことにはなりません。

 

それと

まずは無いかと思いますが

呪いの儀式に出くわした場合は

直ちに逃げましょう。

ガチの呪いの儀式をやってる人のルールには

見られてはいけないらしいです。

もし見られたらその見た人を刺し殺すルールになってるみたいです。

現代でも存在するみたいです。

特に夜の神社やお寺はありえない事はないらしいです。

 

 ここまでの話であまり現実味がないような話かもしれませんね。

では

“呪い”は信じてますか?の話に戻ります。

先ほど呪いの反対は祈りと言いました。

思い浮かべて下さい。

 

あなたは目の前で大切な人が車で轢かれたとします。

救急車を呼んで応急処置をやりました。

もう救急車が来ても助かるか分からない状態の大切な人

あなたは為すすでは尽くしました。

そこであなたは最後に

大切な人が助かって欲しいと祈ります。

そう、

理屈抜きでどんな人でも感情を持ち合わしてる人ならば

祈ります。

神様仏様誰でもいい

この人を救ってくださいと。

これが祈りです。

 呪いは低級霊に交わす儀式ならば

祈りは高尚な存在にお願いをする儀式です。

呪いを信じてない人は信じないでもいいです。

しかし、

人である以上 祈りや何かにすがる想いを抱くはずです。

だから少しは呪いってもあるのかもしれない

そう思えたならば

この記事は何かの役に立てたような気がします。

↑自己満足です。

さて最後の質問です。

世界でも一番祈る存在がいます。

それは皆さま知っている方です。

誰でしょう?・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

答えは

天皇陛下です。

陛下は毎日平和を祈る存在です。

和歌をお書きになって御製で祈りを捧げます。

書く量も半端ないらしいです。

祈る存在であるがゆえに

見えない力や魅力を持ち合わせてます。

国民の平和とか幸せを祈り

テレビ越ししかお見えしませんが

言葉に言い合せれないモノがあります。

 

私たちはいつかは人を呪ってしまうかもしれません。

それは性悪説からすれば当たり前なのです。

七つの大罪を持ち合わせてこそ人なのです。

同時に徳も持ってます。

この記事を読んでどうすればいいかは

読者のあなた方次第です。

まぁ人は呪うもんじゃないですね。

人の幸せを祈りましょう。←強制じゃないです。

では今日はここまで。

おやすみなさい。