ショコラのブログ

気ままに思ったこと考えた事などを書き綴ります

幸せとは何ぞや?

こんばんは。

楽しい事はいっぱいある と思う人。ショコラです。

人生に悩んでるのか

上手くいかないと思ってる

あなた

私自身も含めて思い返して欲しいので

今日のテーマは“幸せとは何ぞや?”です。

 

まず幸せを科学するなら

セロトニンって言う脳内麻薬の分泌ですね。

それとオキシトシンあたりです。

甘い物食べたらでます。

それから赤ちゃんと接したり

愛情やら友情とかの人間関係を良好に築く時にでます。

適当な説明ですが

ポイントは

『快楽』です。

この快楽を感じる=幸せ

と私は定義しています。

あまり知られていない事なのですが

この快楽は

簡単に手に入る快楽は良くない事が多いので気を付けましょう。

言い替えるなら

簡単に手に入る幸せは後に不幸をもらす。

そんな感じですね。

幸せの先取りです。

簡単に幸せ(快楽)を手にすると

その後に不幸が訪れてずっと苦しみます

 

他の方が使ってたので私も同じように言うと

“インスタント快楽”

インスタント快楽には例えば

●自慰

●お菓子

●インスタント食品やらコンビニ

とかです。

簡単に手に入るモノ

手の掛からないモノは

その時は良くても

幸せの先取りは良くないですよ。

なので

オススメは

敢えて苦労事に挑戦することが幸せの近道です。

 

また幸せとは

“共有する”ではないでしょうか?

これは明治時代に出された教育勅語から学ぶ事ができます。

中文あたりに教育勅語の根幹の内容に

『父母に孝に兄弟に友に 夫婦相和し朋友相信じ 恭倹己を持し博愛衆に及ぼし学を修め業を習い 以て智能を啓発し徳器を成就 進で公益を広め世務を開き ……』

これを簡単にすると

私の周りの人と仲良くしてその人達の為に学業を学んだほうが良いぞ。

そんな感じの事が書かれてます。

つまり

は誰かの為に動く事は人生において重要な事です。

誰かと共有して幸せを分かち合いましょう。

意識の疲れ

こんにちは9月ですね。

皆様はいかがお過ごしですか?

ショコラ君は少し体調不良おこしてました。

私の周りでは仕事でもプライベートでも  

よく耳にする言葉があります。

何だと思いますか?

 

そう、

 

「疲れた」です。

この世に蔓延してるのかな

この「疲れた」の言葉。

 

私が「それあんま言わないほうが良いと思うよ」

って言っても私の周りの方達はつい口にしてしまいます。

この「疲れた」は私の中で口にしてはいけない言葉3つの内の一つにはいります。

これは僕は悪としてみています。

 

 基本的に万物の出来事って何でもバランスなじゃないでしょうか

絶対的にこれは良いってもんはないんですよね。

完璧な人間がいないように

形あるものはいつか崩れるように

花に水あげすぎたら枯れてしまう。

 

何か話の話題がよくわからないですね。

 

つまり

 

●「疲れた」って言葉のバランスが崩れてるだと思うんですよ。

 

本当はまだあなたは動けるかもしれない

身体の体力をMax100あったならば

精神ポイントがMax100として

皆が口にする疲れたは

体力70の精神30になってるから「疲れた」と言うわけじゃないでしょうか?

 

違いますか?

 

そんな感じではないですか…

 

じゃあもしくは

 

●「ウィルパワー」の活用が上手くいってないのかもしれないですね。

 

これも人生をゲームみたく考えてみて

「ウィルパワー」ってのは

人が一日に使えるやる気ポイントだと思って下さい。

「ウィルパワー」は何か細かなルールがあって

雑念があればあるほど自然と「ウィルパワー」は消費されるみたいです。

言うならば毒を喰らってる状態みたいな

一日に使える「ウィルパワー」を200とすると

自分の使う机周りが汚れてるだけでも

「ウィルパワー」は消費していきます。

 

もう少し分かりやすく例えるならば

パソコンやスマホのように

沢山のタスクやらアプリケーションを開いてると

コンピューターは仕事に終われて動作がおそくなります。

人の脳も一緒で無意識の内に

「机周りが汚いな…片づけてないと」って言うタスクを開いたまま

仕事をやってるので

無駄なエネルギーを消費しながら過ごしてるので疲れやすいのかもしれませんね。

前日にしっかりと眠ったのに

身体元気なはずだけどな…

知らない間にパフォーマンスを落としてるのかもしれません。

「ウィルパワー」は一日で限られてて

ケータイの充電のようなものです。

 睡眠でバッテリー100%にしてても

位置情報やらBluetoothやらの雑念が多いと

すぐに充電は底をつくでしょう。

 

個人的に思うウィルパワーの消費項目は

●物が散らかっている

●ケータイなどの電子文章もしくはブルーライト

●消化エネルギー

●ストレス

●その他

 

その疲れって

●気持ちからくる

●脳がパンクしている

●精神が消耗している(マインドが崩れている)

●本当に身体が疲弊している

●腸(内臓系)が弱っている

のどれかなので

疲れたの言葉を口にしてるのは

私は「疲れた」状態だと認識

つまりは

「疲れた」を口にすることで

「疲れた」のマインドセットをおこなっているようなモノなんですよ。

そうなると色々パフォーマンスが落ちてしまい

自分の思い道理にいかなくなっちゃうのかもしれません。

「疲れてる」状態と思い込んで脳は意識すると

身体も疲れた症状に陥る悪循環なのかもしれません。

 

また、

●砂糖のとり過ぎ もよくないです。

基本的に白米を食べてるなら十分に糖質は接取できてます。

ジュースなどもっての他です。

液体に甘いと感じるまで砂糖入れてたらかなりの量になります。

糖質を摂取すると

副腎不労などの消化負担がかかり

眠気や倦怠感、脳の働きまでも悪くなります。

砂糖を取りすぎてるなって思える目安は

ニキビや肌荒れを起こしてるかでわかります。

胃が荒れてている=肌荒れ

みたいなイメージです。

あくまで目安ですが馬鹿にできないですよ。

今日は記事が長くなったので次回続きを書きますね。

 

マッチ売りの色即是空

デンマークの童話で

アンデルセンのマッチ売りの少女は

誰もが知ってるお話ですよね。

今日はそのお話を少し

考察してみたいと思います。

 

どうもショコラです。

久しぶりのブログ更新です。

何かだらけてましたー。

この頃は甘酒にはまって甘いものオンパレードで

身体の調子があまりよろしくありませんでした。

やっぱり甘いものは身体によろしくないですね。

とくに意思力が低下します。

さて

本題に入りましょう。

 

 

まずはマッチ売りの少女の簡単なあらすじ

年の瀬の寒い雪の日に

一人の少女がマッチを売ってた

少女は貧しい状況。

あまりの寒さから

売り物のマッチで暖をとった

マッチの火が灯ってる間は何だか幸せな気分になれた。

そうこうしてる内に少女はいつの間にか

体力が尽きて

死んでしまった。

…おしまい。

 

かなり端折った内容ですが

確かこんな感じのお話だったかと

一般的にはバットエンドとされている

このお話

私が思うにはマッチ売り

というビジネスモデルが既に

成り立ってない気がします。

●商材がマッチであり、使用価値と付加価値が非常に乏しい状況

●情報量や人脈がなく単独での行動

●さらに営業とは思えない服装や営業トークも無理がある。

 

そこで個人的に思う戦略としては

●薪を売る業者とセット販売のコラボレート

●火起こし代行業務の訪問販売

●そもそも商材や条件が悪いから

別のアプローチで営業戦略をする。

 

ぱっと思い付くのはそんなとこでしょうか。

年齢が不明なので何とも言えないが

そもそも少女にこの条件は

無謀と言えるでしょう。

お金儲けって難しいですよね。

 

さて、ビジネスモデルの観点から

マッチ売りの少女を考察しましたが

他の視点から考えさせる事があります。

 

マッチ売りの少女は

営業戦略的にもダメだが

マッチの単価はたかが知れている

街行く通行人達は

誰一人として買い取ってなかったのか?

あるいは“またいつもの子が売ってな”で

常態化して空気のようにあしらわれてた

つまりは

 

その日限りなのか

それともいつもの事なのか

 

それによっても見方は変わり

いずれにしても

人が人を見ぬふりをして見殺しにしてるように思えます。

 

 

話の視点を少女にうつします。

少女はマッチを擦って火を灯して

幻を見たのか

最期は幸せそうな顔で

安らかに死んだおばあさんの元に旅立った。

この幻想

有るようで無い

無いようで有る

少女の意思なのか

炎を見ただけで幸せが訪れるのか

よく分からない。

うまく言えないし、誇張した考察かもしれないが

これは仏教用語の色即是空なのではないでしょうか。

 般若心経の中の一節が

色即是空(しきそくぜいくう)だ。

 

何やら何だかよく分からないなと思われるかもしれない。

とりあえず

色即是空の意味から入っていこう。

 

色即是空とは

漢文訓読にすると

色すなわちこれ空なり

つまり色(しき)は空(くう)であるんだよー。

 

色(しき)は

「物質的なもの」、「形あるもの」である

精神的なものは含まれない。

インドから経典が伝わった時に漢訳するときにあてたのが「色」

すべての物質的なものは色がついてるから「色」となったのだ。

 

空(くう)は

存在しない。

無い意味である。

 

二つの言葉を掛け合わして考えるには

難しいが、

車をイメージすると何となく分かってくる。

車は部品の集合体に過ぎない。

一つ一つは車とは言わない。

部品が集まり総称で車だ。

富士山も砂や石とかもどっから富士山なのか境界線は存在しない

この境界線が存在しないけれど、

遠くからみると一つのモノに成り立っている

人間が都合よくあれは富士山とかこれは車と言ってるだけで富士山っていうモノがあるわけではない。

砂や石が集まり総称して富士山と言っているに過ぎない。

空(くう)とは存在しえない事を述べている。

 

例えをまとめると

富士山(色)は一見するとそこに存在するが実際は砂や石の集合体であって富士山がそこには 存在しえない(空)なのである。

になる。 

 

何となく分かったでしょうか?

それを踏まえた上で

マッチ売りの少女は

マッチを擦って炎から幻想をいだき

色即是空無いものをあるように思ったのである。

 

何か無理繰り感あるな…。

 

まぁ

身近なところで色即是空の体感であれば

食べ物だろうか

食べてる時は味覚を使って美味しいと感じてるが

食べ物が舌や口の感覚器官に触れて

反応してるだけで

美味しいというモノが

存在するわけではない。

反応する現象なわけで

美味しいと言う人の解釈がなされてる。

 

この色(しき)は面白い事にずっと続かないモノでもある。

どういう事かと言えば

“形あるものはいつか崩れる”からだ。

先ほど言った

富士山もいつかは崩れる有限のもの。

美味しいと思っていた食べ物も

美味しいという常態は永遠にはつづかない。

 

チャラいけど、聞いて欲しい

おはようございます。

ショコラです。

昨日晩は久しぶりに

町内ランニングしてました。

夜なのに気温30度越えで

やばかったです。

あと

変な自慢になっちゃいますが

ちょっと聞いてもらえますか?

 

私は滅多に服を買わないですが

この前

ちょうどタイミング良かったので

服を買いました。

私の服選びの基準は

出来るだけ服に文字が書かれてない事と

体型にあった服装

それからいつの時代でも着れそうなモノ

ブランドのこだわりないので

他の人達より安ぽいやつかもしれません

服で困る事はサイズが合わない事

見事に体型に合わない服ばっかなんです

とくにズボンは

エストが73がたいていお店にある

小さいサイズになりますがベルトで

締め付けないと

3歩歩いたらストンってずれ落ちます

しかも、

小さいサイズになると足のふくらはぎがピチピチになってダサいです。

とにかくサイズ合わないです。

多分ウエスト68のMサイズ的なのが

あるといい感じなんでしょう。

太りにくい体質だけど

筋肉もつきにくいので

もう少し胸筋つけたいものです。

服に着せさせてる感半端ないや。。。

 

 さて、今日の本編なんですが

男のモテについての話をしたいです。

最近の事なのですが

私は事情あってYさんから

女の子のMさんに

良い男紹介してくれないか頼まれてました。

さっそく私は会社のそれなりに真面目な

S君を紹介しようと考え

S君に話を振りました。

S君は私の話を聞くなり

『ちょっと考えても言いかな』と言って

それ以降その返事は貰えなかったのでした。

私はこの事からS君は

一生彼女出来ないだろうなって思いました。

以前、S君とは話をしてて

彼女出来ないよーって聞いてたので

私は偽善活動でやったことを

さらりと後伸ばしされ

適当にあしらわれたわけです。

こういうのはよくある事なんですが

このブログで見てる方に伝えたい事は

 

チャンスが来ても

知らない未知の事になると

人は恐怖を抱き

安全で無難な策にでます。

これが選択肢の先伸ばしであったり

今回はいいやとか言って

断念する事です。

そういうことやってる男性は

マジでモテないです。

自分に責任がとれない

自分に自信がない

そういうことではないのか?

もしくは結果の決め付けだったりです。

私自身も身に覚えのあることなので

私自身にも言い聞かせるつもりの

記事でもあります。

 

人は応募や挑戦する事で

何かが上手くいきます。

受け身もそうですが

チャンスあるのに後回しにして

挑戦する事に

恐怖を抱いて安全な先伸ばしの

選択をする時点で

男として終わってるわけです。

さあ、

この記事を読んだなら

あとは実際に行動ですね。

私も人の事言えないや。。。 

西日本豪雨災害での考え

こんばんはショコラです。

時事ネタなので

ピンとこない人も出てくる記事に

なるかと思いますが

よろしくお願いします。

 

2018/7/7に西日本を中心

特に広島、愛媛、岡山が激しい豪雨で

川が氾濫して決壊したり

ダムのキャパオーバーして放流して

下流の民家が流されたり

土砂崩れで被害に遇われたり

そんな深刻な状況まで発展しました。

オーバーフローして溢れ返った川の水は

床上浸水以上になって

数日間水が引かない所もあったみたいです。

今回の記事では

その後のボランティアについて

考えさせられるなと思う事を

書きたいのですが

ボランティアの定義って

難しいなと思います。

要点があるとすれば

 

●無償であること

●自主性

●社会貢献

 

この三点がポイントです。

そして私はまず思う事は

幾つかあります。

ボランティア行かない奴をディスる事は

何か違う気がします。

自主性から来てるなら

思っててすぐに行動出来る人なら

その人だけ行けばいいと思う。

誰もがフットワーク軽い訳でもないし

そこに人間性とかの話を持ち掛けるのは

ちょっとボランティア精神からは

外れています。

てか私も実際に嫌みを言われて

不快な思いをしました。

人は我先に自己優先するモノだと

私は思います。

それが悪い時もあるけれど、

ボランティアの次元では

自主性である以上

“ボランティア行かない奴とかあり得んわ”

とか口にすべきではないです。

それは自分の

価値観を押し付けているとしか

思えません。

そーゆーのは

“ボランティア一人で行くのは心細いから一緒に来てほしい”

って言ったほうが

私は心を動かされる気がします。

もっと優しくいてほしいですよね。

 

それと、

無償って事は見返りを求めない

そう解釈するならば

黙ってボランティアするべきです。

私自身、会社を有給休暇を使って

ボランティアに行きました。

人には有給休暇を使った理由は

ボランティアする為に休みます

とは言ったものの

誰かに感心を抱かせたい

訳でも何でもない

ただの行動報告なだけなのです。

言い換えれば

身体の風邪引いたから休みます

みたいな感覚の報告なのです。

誰かに

“お前良いことしたな”とか

言わしたいわけではないのです。

そんなアピールしてイイ人ぶりたくないんですよね。

ボランティアって、難しいですよね。

偽善にしても

もっと後味のいい事して 

黙って人を助けたらどうなんだろうね。

 

呪いと祈り

こんばんは七月になりましたね。

ショコラです。

今日は何か月ぶりのプールに行ってきました。

水泳って瞑想に近いものがあるなって思ったりします。

何かピンっとこないかもしれないですが

息継ぎをいかにうまくするかとか私の中では重要なのです。

その息継ぎを意識をしていると瞑想に近いなってことです。

呼吸は普段は無意識ですが

そこに意識を向ける事ってあんまないですよねー。

ランニングの時も同じ要領で呼吸に意識を向けると

これまた瞑想ですね。

でも、瞑想って何をやってるのか

今一つ分かってないショコラ君ですがね。。

 

さて、今回のテーマは”呪いと祈り”です。

興味ない人もいるかとは思いますが、

なかなか面白い内容なので

最後まで読んでもらえたら嬉しいです。

 

いきなりですが、

あなたは“呪い”を信じますか?

目に見えないものだし私は信じない・・・

呪いってなんぞや・・・

いやいや、それってスピ系?

そう思う人がいますね。

 

では“呪い”の反対は何でしょうか?

 

呪いは対象となる人に対して不幸な出来事を願う事です。

従って

“呪い”の反対は“祈り”です。

こんな言葉があります。

『人を呪わば穴二つ』

これは古事ことわざで

他人に害を与えれば、

必ず自分にかえってくるものである。
他人を呪い殺せば、

自分も相手の恨みの報いを受けて呪い殺され、

相手と自分の分で墓穴が二つ必要になることからきています。

まさに因果応報ですね。

 

呪いとは

低級霊に対象人物に不幸を陥れてくれと頼み込む行為です。

低級霊は対価を求めます。

呪いをかけるからには

対価としての不幸をかけた本人にも与える

そんな感じです。

なので人を呪う時には自分も刺し違える覚悟が必要となります。

 まぁ人に憎悪を抱く時点で

その雰囲気とか負のオーラで良いことなんてないものです。

そう、

呪いは普段のちょっとした事でも

小さな呪いはあります。

憤怒、傲慢、嫉妬

この三つは私のブログでたびたび出てくる七つの大罪ですね。

低級霊はこれらの人の弱みから契約でも交わすのでしょう。

呪いをかけると言うのは、自分自身の生霊とたの死霊等を混ぜて悪霊を製作して相手にぶつける訳です。
相手を死に至らしめ、目的を果たした悪霊は次の目的を探し呪いをかけた本人、悪霊を生み出した者の所へ
帰って来る訳です。

当然呪いをかけた者を死に至らしめる迄やめません。
なぜなら呪いを掛けた本人の生霊をベースに作っていますので、

本人が死ぬ迄悪霊にエネルギーが供給され続けるからです。
人を呪うと言う事は自分も死ぬ覚悟がいる訳です。

 

ちなみにお化けや幽霊が見える人は注意して下さい。

 こういうものには関わらないのが一番です。

見えるってことは

そのレベル(波長やら周波のチャンネリング)が

合ってって事です。

良いことにはなりません。

 

それと

まずは無いかと思いますが

呪いの儀式に出くわした場合は

直ちに逃げましょう。

ガチの呪いの儀式をやってる人のルールには

見られてはいけないらしいです。

もし見られたらその見た人を刺し殺すルールになってるみたいです。

現代でも存在するみたいです。

特に夜の神社やお寺はありえない事はないらしいです。

 

 ここまでの話であまり現実味がないような話かもしれませんね。

では

“呪い”は信じてますか?の話に戻ります。

先ほど呪いの反対は祈りと言いました。

思い浮かべて下さい。

 

あなたは目の前で大切な人が車で轢かれたとします。

救急車を呼んで応急処置をやりました。

もう救急車が来ても助かるか分からない状態の大切な人

あなたは為すすでは尽くしました。

そこであなたは最後に

大切な人が助かって欲しいと祈ります。

そう、

理屈抜きでどんな人でも感情を持ち合わしてる人ならば

祈ります。

神様仏様誰でもいい

この人を救ってくださいと。

これが祈りです。

 呪いは低級霊に交わす儀式ならば

祈りは高尚な存在にお願いをする儀式です。

呪いを信じてない人は信じないでもいいです。

しかし、

人である以上 祈りや何かにすがる想いを抱くはずです。

だから少しは呪いってもあるのかもしれない

そう思えたならば

この記事は何かの役に立てたような気がします。

↑自己満足です。

さて最後の質問です。

世界でも一番祈る存在がいます。

それは皆さま知っている方です。

誰でしょう?・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

答えは

天皇陛下です。

陛下は毎日平和を祈る存在です。

和歌をお書きになって御製で祈りを捧げます。

書く量も半端ないらしいです。

祈る存在であるがゆえに

見えない力や魅力を持ち合わせてます。

国民の平和とか幸せを祈り

テレビ越ししかお見えしませんが

言葉に言い合せれないモノがあります。

 

私たちはいつかは人を呪ってしまうかもしれません。

それは性悪説からすれば当たり前なのです。

七つの大罪を持ち合わせてこそ人なのです。

同時に徳も持ってます。

この記事を読んでどうすればいいかは

読者のあなた方次第です。

まぁ人は呪うもんじゃないですね。

人の幸せを祈りましょう。←強制じゃないです。

では今日はここまで。

おやすみなさい。

 

モテの前提

こんばんはショコラです。

この頃は気分が落ち込んでいるショコラです。

原因は食生活が崩れてる事と

睡眠時間が乱れてる事だと思います。

やる気ないっす。

あと、梅雨ってのも一つの

モチベーションが下がる原因かと思います。

何かできない人は言い訳をずらずらと語れますよね(-_-;)

こんな時はあまりじたばたせずに身体を大事にしないと

泥沼にはまった感じになります。

モチベーションアップを図りたいなら

やっぱ音楽恋愛でしょうかね。

ちなみに私のブログはパソコンでアップする時と

ケータイからアップする時とあります。

基本的には写真は使わないようにしています。

 技術的に未熟なのもあるのですが

活字重視なので文章で勝負です。

やる気ないくせに

何か語る時はひたすらベラベラと喋りっぱなしです。

 

今日のお題の【モテの前提】は

そのままの意味です。

 私、最近人生相談の請負をやりたくて

手短な人間に『何か困った事ないですかー?』

って聞いて回ってます。

まぁ、根本的な解決にはならないにせよ

何かのヒントみたいなアシストできれば・・・

そんな事を思ってやっています。

なのでこのブログを読んでる皆様方にも

何かお困りでしたら

私の浅はかな知恵と経験で一緒に考えてみたいので

よろしくお願いします!!

 

いやー。

話が脱線しましたね。

 今言った“人生相談”で

かなりのウェイトを占めている内容です。

そう、

異性の事。

皆なんだかんだでモテたいですよね。

それは老若男女問わないですよね。

 では今回はその恋愛講座の回ってことで話進めます。

私自身もそんなモテの王者ではないのですが

人を見る目

それから物事を考える事(真意や道理てきな)は

ピカイチだと自負しております。

なので参考になればなーって思います。

 

 

 貴方は好きな人がいますか?

まずはこの気持ち大事ですよ。

それないと何も始まらないです。

漠然とした感情など意味をなさないです。

それから人は単純な生き物です。

目隠しした状態で歩けって言ったら数歩歩くと

恐怖に襲われます。

無知とは恐怖なのです。

相手の事を知らない事だけでそれは

恐怖なのです。

だって知らないから。

好きな人といっぱい話してみましょう。

勘違いや思い込みで

自分の都合よく解釈されたことは

今のうちに紡いでおきましょう。

交遊を重ねることで

嫌いな事好きな事色々見えてきます。

主には男性に向けて書きますが

女性は男性に対しては基本的に減点方式で

見られてる事を意識しましょう。

加点されることはまずないでしょう。

“キモイ”って言えば何でも丸く納まるのが

女性なのかなって偏見持ちたくなりますが

いかに“キモイ”がなくせるかどうかなんですね。

極端な話

このご時世の日本男性は

八割は非モテです。

そして二割はモテる層です。

見た事ないので何とも言えないのですが

まさにバチェラー状態(女性が限られた男性を奪い合う)なんでしょうね。

恋愛においては女性のほうが圧倒的に有利です。

これって書いてる私も男なので

無慈悲な事実なので悲しくなってきます。

要はモテる奴はモテる

戦前はモテに関係なく結婚することが容易かった。

だって親が決めた相手と結び付けられる風潮があったから。

今は自由恋愛

サバイバルです。

弱肉強食です。

草食系男子は眼中にない女子が大半です。

 

これから大事なポイント言います。

これは本来有料レベルのポイントです。

一見当たり前の事を書いてるように見えますが

これできる人は全体の10パーセント以下です。

これを読んでもできる人はいません。

断言します。

 

 ●お腹が出ていない

●臭くない

●口臭に問題なし

●歯が綺麗

●鼻毛が出ていない

●食べ方が綺麗(箸の使い方を知っている)

●煙草を吸わない

●筋トレをして細マッチョである

●本を読むのが好き(活字を読む)

●日記やブログを書いている

●めんどくさい事を積極的にやっている

●何かに依存、執着しない

●女性(異性)を特別視しない人としてみる

●自慰をしない

●腸が綺麗

●趣味や自分の得意とするものを持っている

●自己責任がしっかりできる

●口をぽっかり開けている(口呼吸)

 

他にもたくさんありますがキリがないのでこのくらいでしょうか。

これを無料のブログにのせるのは

なんて良心的なショコラ君なんでしょう。

 男女共通の項目もありますが

まずは臭い関係ですね。

見た目良くても

臭いでNGな奴は間違いなくモテないです。

息が臭いとキスしようと発想も浮かばないでしょう。

この場から早く離脱して身の安全を確保したくなりますよ。

フェロモンとは人が匂いとして知覚できないものだと私は思ってます。

臭いは身の危険を感じるのが普通でしょうね。

あとは鼻毛と歯が歯石だらけとか

何かの罰ゲームかな?

それともギャグかな?

一番ありがちな隠れた非モテ要素は

“お腹が出ている”事です。

これは丹田に力が入ってない状態で

すなわち

腸感覚が狂っている、感情コントロールができてない

または意思が弱いに繋がります。

このポイントは大半の人はNGです。

試しに銭湯にでも行って

確認してみてはいかがでしょうか。

筋トレも同等です。

筋トレそれなりにやってる人など皆無です。

モテの基礎と言えば筋トレなくらいです。

とりあえずまだまだ言いたいこと語りたい事ありますが

私の睡眠時間が差し迫っているので続きはまた今度です。

それではお休みなさいませ。

zzz