こんにちはショコラです。
私はおじさんですが、ぶりっ子をする痛いやつなので
割と皆からは可愛がられます(笑)
さて、今日はかなり問題発言をするので
このブログいきなり無くなっちゃうかもしれませんね←他人事目線
皆様は“死体”見た事ありますか?
おぃおぃいきなりキチガイ発言かよ・・
と思われても仕方ないですね。
まぁまず見た事ない人はいないでしょ
だって・・・
食事で 必ず見かけてますよ。
そう、動物のお肉です。
知ってますか?
どや顔で言う事ではないのですが
食事の時に言う“いただきます”は
“命をいただきます”の略です。
人は生きていくためには必要な事なので覚えてほしいのですが
あなたはちゃんと
ご飯味わって食べてますか?
噛みしめて食べてますか?
私も含め考えさせられる事だと思います。
あるブログの人が言ってました。
「Instagramに料理の画像をアップしてる人いるけど
あれよくよく考えてみると悍ましい事だよな。」
進撃の巨人の漫画、アニメのイメージですよねー。
それでも私は美味しい料理は写真に撮って納めたいと思う矛盾
があります。
都合いいですよね。
せめて、できる限りでいいから
- ご飯は残さない事
- いただきますを言うこと
- ごちそうさまを言うこと
- 料理に対して味わう、噛みしめる事
- 食べ物は粗末に扱わない事
それを私も含めやっていきたいですね。
さて
もう少し記事を書きますね。
私は男です。
私は宗教家ではありません
私は変わり者ですが、異常者ではありません
私はぶりっ子するおじさんです(二回目)
私は日本文化が好きです
私はあまり頭がいいわけではないですが知識欲はあります
私は異常性癖者ではありませんが禁欲主義者です
その事を踏まえてから読んで頂くと嬉しいです。
はぃ、それではいきます
この内容は主に男性の人に向けての内容となりますので
性差別とか侵害するつもりはありません。
注意書き多いなーショコラ君(-_-;)
私がかれこれ十年以上前の話です。
当時私は自慰する事はストレス発散であって
単なる嗜好行為とみなしてました。
“気持ちいい”
別に誰からも迷惑をかけない最高のストレス解消法だと
思い込んでました。
小学校高学年くらいから覚えてから
“気持ちいい”に囚われて
ひたすら時間の隙間ごと消費にいそしんでました。
なんだかんだで運が良かったのかはしらないが
彼女も居て何の疑いもなく性欲のままになっていました。
ここではっきり言いますが
当時の彼女の事は
好きでした。 しかしその一方で
“穴”と“おっぱい” そんな風に何か
モノとしてみていた節がありました。
最低ですね。・・・
すいません。
でも綺麗ごとは書かないので隠さず言いました。
性欲に囚われて女性をそんな目でみてました。
それでも当時の彼女は嫌な顔もせず愛してくれた事には
感謝しています。
今考えると色々とヤバい自分でした。
ココアに砂糖を三杯入れないと甘くないなーとか
自慰は一日二回が標準でした。
特に何かするわけでもな無駄に時間を過ごしていました。
セックスの事ばっかり考えていて。
“気持ち良ければなんでもいい ”
そんないい加減な気持ちばかりで
そんなこんなで
どこか虚無感がものすごくありました。
今ならその原因はわかります。
その当時は不思議で仕方なかったです。
自殺まではいかなかったけれど
自分には彼女もいるし友達もいる
会社も出来ない役立たずだけどある意味安定している
何かを変えたいけれど何を求めてるのかわからない
勉強もできない
スポーツも出来ない
お金に困ってはないけど
財布に千円あったかな・・・
誰かに誇れるモノなどないけれど
普通に幸せ?なんだろうかな・・・
問題点もないけどすごい人間ではない
当時の私は悩みました。
この気持ち
何て形容しがたいか分からないけれど虚しい
そんな過去のどうしようもないクズ男ですが。
何か変えないといけない
その気持ちはずっと持ち続けました←今もありますよー。
ある時唯一の楽しみであり力をそそいでた車を乗ってて
気が付きました。
偶然なのか必然なのかしらないが
私は何か嫌な気持ちがあったら神社行ってるな・・・
私の地元では有名な神社です。
もう一度言っておきますが宗教家ではないです。
心のよりどころは当時の彼女と友達だ
だけど満たされない何かを癒したのは
神社に行ってその場の空気を吸っただけです。
即効性があるわけじゃなく
なんとなく居心地いいな
なんて気のせいくらいのものです。
それになんとなく気が付き始めて
私は少しづつ変わりました。
本当に少しです。
私はモノの考え方や価値観が十年前より全然違います。
健康志向であり
禁欲者であり
ストイックになりました。
今は幸せですが、まだ足りません。
それは自分を高みに向けないと
そんな向上心はずっと持ち続けています。
きっかけはおぼつかないものです。
私は“気づき”があり変えたい意思があったから
その望みが少しずつ変化したのだと思います。
一言言って締めます。
この世は想い(意思)の世界です!